はじめまして!
フリーランスWebデザイナーのかわまりといいます。
フリーランス歴はもうすぐ丸3年。
月平均50万円ほど安定してお仕事をいただけるようになり、
忙しくも充実した毎日を送っています。
Web制作の仕事をする前は
ごく普通の専業主婦をしていました。
学生時代の友達に「上手にキャリアチェンジしたね」と言ってもらえるけど、
なんでそう見えるのかが不思議!
いつか語りたい、この苦労っぷりを!
そんなわけでまず今回は専業主婦が未経験でWEBデザイナーになるまで
についてお話ししようと思います。
誰かの参考になれば嬉しいです・・!
かわまりについて
今までの自分を振り返ってみたくなったので、つらつら書きます。
長いので興味がない人はスルーでお願いします🙇
幼少期
自営業の父、助産師の母の長女として生まれました。
祖母も同居していたので4人家族でした。
後に7歳離れた妹も生まれます。
祖母が元・小学校教師だったこともあり
非常に教育熱心で、5歳の時には公文式の漢字カードで勉強させられていた記憶があります・・。
(雲とか雷とか・・)
とりあえず幼少期は大人しい子どもだったようです。
小学生のころ
小学生の時も相変わらず大人しい子どもでした。
なぜか誰かと協力して頑張ることが苦手で
「クラスみんなで協力して頑張ろう」などという優等生タイプを毛嫌いしてました・・笑
体育のリレーなんてする意味が全くわからなかった・・。(まあ足も遅い)
家では相変わらず勉強が厳しく、算数が苦手だったので祖母が作った問題集を
ひたすら泣きながら解いていたことは長らくトラウマになってました。
高学年になると、塾のテストで上位を取れなかったことを怒られたりしたので
この先、高校受験や大学受験のプレッシャーに耐えられる自信がなく
あえて中学受験をして関関同立の付属校へ進学しました。
(お受験ストレスで円形脱毛症になった・・)
でもそれまで自分は勉強ができないと思っていたので、受験のおかげで
「私って頑張ればできるやん」と謎に自信がつきましたw
中高時代
朝は6時台に家を出て、毎日片道1時間半ほど電車通学してたけど
中高時代はめちゃくちゃ楽しく、のびのびと通っていました。
周りは裕福なお嬢様が多かったけど、お育ちの良い人は他人を
マウンティングしないということを学びました。(何を学んでるんだか・・)
なんでもやりたいことは挑戦し、一番自分らしい時代だったかも!
スポーツは苦手だったから部活はしなかったけど、
3年間生徒会役員をしてました。
(目立つ役回りではなく、No.2の立ち位置の方が向いていると気づいたのもこの時期)
今でもちょいちょい母校に遊びに行ったり、友達や先輩とランチしたりしてます。
当時の充実した学生生活を思い出すと、行かせてくれた親には
感謝ですね。
「やりたいって思ったことは、なんでもできる」と信じていた頃でした!
大学時代
「今までやったことがないことに挑戦したい」と思い
何を血迷ったのか、体育会の部活のマネージャーを4年間しました。
が、これがキツすぎた!
「男性🟰偉い」女はその下
という図式が成り立っていて、本当に俺様の集まりでしたw
マネージャーという役職が向いていないということもあり
4年も続ける必要はなかったと思うけど、
当時は「一度やろうと決めたから最後までやる」と意地になってた。
100%辞めるのが正解でしたね。
本当にこの4年間で自分に自信がなくなり、
「自分は出来の悪い役立たず」と思うようになってました。
でもポジティブな考え方をすれば
「何が自分に向いていないのか」
「どんな人と働くのが嫌か」
「結婚するならこの人たちみたいなのはやめておこう」
の3つがわかっただけでも、やった価値はありました。
(そう思えるようになるまで10年かかりましたが・・・)
会社員時代の私
大学を卒業後は大阪の産業機械メーカーに就職。
全く希望していない営業に配属され絶望。
工場で使う機械を売っていたので、
大阪・京都・滋賀のいろんな工場へ車で高速ぶっ飛ばして通っていました。
でもお客様と喋るのが苦手すぎて営業がほんまに無理やった。
今思えば「営業=物やサービスを売る人」
って思っていたのが原因でした。
有り難いことに上司から
「営業=お客様の課題を解決するお仕事」と教えていただきました。
つまりお客様のニーズを把握することが大事なので
新規の訪問の際は、お客様の下調べに多くの時間をかけ
相手の課題をある程度推測。面談の時はこちらから質問をしまくり、基本は相手に喋らせる。
案件数をこなすと徐々にパターンが読めるようになりました。
お客様から見て私が
「物を売りに来る人ではなく、課題解決のお手伝いをしてくれる人」と認識していただければ
もう話は早い!
あと代理店さんをいかに味方につけるかも売上の鍵だったので、そこに早く気づいたのもラッキーでした。
そんなこんなで営業苦手ながらも、少しずつ受注が伸びるようになっていました。
当時は1日4社の外回りをした後、会社に戻るとすでに18時すぎ。
その後代理店の見積やメールを裁き、提案書も作りまくると帰宅は夜の12時。
めちゃくちゃ心身ともにきつかった・・
そんな生活を3年ほど続けると、自然と体重は40kgを下回りました。(意図せずダイエット成功・・!)
競合他社よりも400万円高い3000万円で案件を受注するなど、
自身の体調不良とは反対に仕事はまあまあ好調。
周りからは評価してもらえるけど、お客様もみんないい人たちだったけど
実は営業はずっと好きじゃなかった。
その後色々ありあっけなく適応障害になり戦線離脱。
でもこの時の営業の経験は、間違いなく今に生きているので
人生に無駄はないですね。
結婚と出産と仕事復帰
そういえば取引先のある男性に捕まり、
あまりにお誘いがしつこかったのでご飯に行きました。
それが今の夫です。
粘り強さって大事なんだと夫から学びました・・
(当時夫の会社は、うちの会社の重要顧客でして
あまり冷たくあしらって失注したら困るのでやむおえずご飯に行ったw)
その後あっさり結婚し、翌年には長女を出産。
そのころは営業は離れていたけど、まだ働いていたので
1年の育休を経て仕事復帰しました。
朝7時半に娘を保育園に預け、1時間電車に乗って通勤。
熱でしょっちゅう呼び出しは来るし
仕事は新規事業の立ち上げを担って忙しい時期だったしで
その頃の記憶はほぼ無い。(涙)
夫も当時は3交替勤務だったのと、親も祖母の介護があったので頼れず
基本育児はワンオペ。
当時は本当にいっぱいいっぱいで、「家事・仕事・育児」の3つが全て中途半端なのが許せなかった!
ある日、娘が保育園で使うよだれかけに黒カビが発生していることを
保育士さんに言われるまで気づかない自分に絶望。
一旦は育児に専念しようと
2人目を出産するタイミングで退社をきめて専業主婦になりました。
今思えば、他にやりようがあったはず。
視野が狭くなってしまい、自分一人でなんとかしようとして
退職するという決断に至りました。
当時引き止めてくれた上司とは、今でもfacebook友達です。(笑)
専業主婦時代
助産師としてずっと働いている母親を見て育ったので、
まさか自分が専業主婦になるとは思っていませんでした。
しかし未就園児2人を育てる専業主婦の大変さを思い知りました・・。
Web制作界隈は、赤ちゃんを育てながら学習しているママが多いけど
ほんまに凄すぎる!!
でも子どもたちとたくさん向き合い、2人の成長に悩んだり喜んだりする時間は
かけがえのない時間でした!
2人目は特に発達グレーゾーンで大変だったけど、
会社員だったら療育に通うのも無理だったかも。
一方で仕事だったら頑張れば評価されるのに、
家事や育児は誰からも評価されないというのが思っている以上にキツかった・・。
なんとなく社会から取り残されているような錯覚にも陥りました。
当時知り合ったママ友たちは
看護師・歯科衛生士・行政書士・美容師と
みんな手に職のある人たちだったこともあり
漠然と私も手に職をつけたいなと思うようになりました。
ちょっと寄り道
ここでWEBデザイナーを目指す・・・というわけではなく
私が目指したのは社会保険労務士でした。
それを選んだ理由は
- 学校に通わなくても受験資格があること
- ある程度の収入が見込めること
- 難易度は高いが独学で目指せるこ
この資格をとって、どこかの会社に就職しようと思っていました。
1年ほど毎日時間を決めてコツコツ学習を進めていましたが
急遽引っ越しをすることになったこと、
当時娘の幼稚園でPTA役員の行事が忙しかったことを理由に、
少しの期間だけ学習をお休みしました。
休んじゃったことでモチベーションが下がっちゃったんですよね・・。
私の資格試験勉強は1年で幕を閉じました・・。
(私の決意はどこに行った・・)
WEB制作との出会い
下の子が幼稚園に入ったタイミングで、
仕事を探そうと考えました。
が、すぐに
「今すぐできる仕事を探すより、やはり手に職をつけてから仕事を探した方がリターンがでかい!」と思った私。
とはいえ社会保険労務士の勉強の経験から、
私のやる気は1年が限界だと悟ったので
1年で身につけられるスキルを探すことにしました。
まず私が見たのは求人のママワークスでした。
「求人が多くて時給がそれなりに高い仕事」
それがWeb制作でした。(出会い方がひどい・・)
「これだ!」と思った私はどうやったらそのスキルが身につくかを
調べまくり、とあるフリーランスデザイナーさんのブログを読み込むと
「twitterは情報の宝庫だから必ず登録すべき」と書いてあったので即登録。
twitterから色んな人の勉強方法を調べ、コーダーを目指すことになりました。
この時はまだデザイナー志望じゃなかった・・
コーダーになる
当時はお金も余裕がなかったので、
完全独学でコーディング学習をスタートしました。
(progate、ドットインストール、無料のデザインカンプたち・・)
そして夫にもお願いしてパソコンを新調し、「絶対にものにする!」と約束しました。
(夫には軽く見られていたので、悔しくて「絶対に収入超えてやる」と思ってたw)
とにかくコーディングの学習は楽しすぎた!
毎日早起きをしてひたすら学習していたら肩が上がらなくなり、
病院で「四十肩です」と言われた時はショックだったけど・・。
CodeUpsとの出会いもあり、
無事に1年で学習を終え、準委任で2社業務提携し
専業主婦は卒業しました。
CodeUpsのヒロキさんのおすすめで初めて電話営業したけど
めっちゃメンタルやられた・・w
ヒロキさんはスゴすぎた!
学習期間中は「朝活サロン」にも入って、先輩方と交流をして情報をもらっていました。今思えば挫折しなかった要因かも!環境は大事だし、情報は積極的に自分でもらいにいくものですね。
Webデザインとの出会い
ここでやっとデザインと出会いました!w
当時コーダーとして働いていた会社の社長さんが
ちょっとボタンもいい感じにデザイン変えてコーディングで反映しておいて
と言ってくださる方でして
いやいや、無理だし!デザインスクール探さなきゃ!
となった私はデザインスクールを探すのでした。
CodeUps内のセミナーでちこさんの存在は知っていたので
デザトレ1期の説明会に軽い気持ちで参加しました。
そこでちこさんのお人柄が好きになり
ダメもとで応募!
そしたらちこさんが、私が過去に電話営業をしていたことをtwitterで知ってくださり
無事入会できることになりました!(ヒロキさん、ありがとうございます)
デザトレに入りたいと思ったのはまさしく直感
デザトレでの勉強は本当に楽しすぎた!!
もちろん学習は大変だったし、営業はもっと大変だったけど
あの数ヶ月は私にとっては間違いなく大転機でしたし、
ちこさんにも出会ってくれた同期にも本当に感謝してます。
サラッと書いてますが「学習の壁」「営業の壁」「案件の壁」などめっちゃつまづいてます!スムーズじゃないです。長くなるので別の機会に書きます・・・w
さいごに
私は
「その時そのときにできることを頑張っていたら、今の状況になっていた」
というタイプの人間です。
決して器用ではないし、要領よくないし、めちゃくちゃつまずくし、とにかく泥臭くやっております。
でもその時々の決断を「正解だった」と言えるようにするために頑張っているのかもしれないです。
次は「私がWebデザインでぶち当たった壁たち」について
書いていこうかなぁと思っています。
ここまで長いのに読んでくださってありがとうございました!